無線・・・いわゆる電波を使った技術一般、電気を流す線を使わないから「無線」。英語になるとRADIOとなるけどラジオの語源はラジエーション(radiation)で輻射、放射、熱射、ラテン語のradius(光線)というものもあるらしい。

無線との付合いは、昭和44年、小学4年生の時、アマチュア無線連盟(JARL)が各地で電話級アマチュア無線技士養成の為の講習を行い、父がこの講習の無線工学の講師として招聘。父から「仕事終わりに勉強している社会人の方たちの姿を見るのも良い経験だろう。」と半ば強制的に講習に参加。当時は「電話級アマチュア無線技士」(現4級)。

修了試験、当時は筆記の記述試験でしたが、無事合格し、開局、コールサイン「JA6RBP」を頂き、現在まで使用しています。もう50年位経過する。使用していた無線機はアイコム「IC-20」VHF、144MHz帯FMモード、それと往年の名機、トリオ「TS-520X」HF、主に7MHz~28MHzのSSB、CWモードで運用。

小学生から高校生までの間は、日本各地でアマチュ無線がブームとなっていた頃で、地元の鹿児島県出水市でも社団局の「JA6YII」が開局されたり、「出水アマチュ無線クラブ」として、毎週のロールコールで親睦を深め、夏は近くの海水浴場でキャンプがてらの移動運用等も楽しい思い出となりました。誰かが開局するとか、アンテナを建てるとかなったらみんなで手助けに行ったものです。そこでOMさん(Old Man)から色々な手ほどきを受けて若手は育ちました。この頃から、半田付けは朝飯前。併せてBCLブームもあり海外放送局の受信とベリカードの蒐集に熱を上げていました。

高校2年に進学するときに第2級アマチュア無線技士の免許を取得し、モールスによる海外通信にどっぷりと嵌ったものです。部室にはヤエスのFT-200Sがありました。屋上でアンテナの調整やアンテナを水平方向に回転させるためのローテ―タ(エモテータ)の設置など楽しい思い出です。

大学校への進学したときは、当時の学生寮の4学年の室長が、私がアマチュア無線をやっていたということを知り、校友会、いわゆる部活「物理部・無線班」に入部することになりました。当時は顧問の方もアマチュア無線の免許を持っていたりで、屋上にアンテナを建てたり、無線機を購入したりと比較的活発に活動していました。ちょっと特殊な学校なので、運用はかなり制限されましたが、友達もできて、コンテストに参加したりしていました。このときの友は今でも大切な友人です。

海上自衛官となり時間も運用場所もなくなり、ほとんど運用していませんでしたが、父が無線局の再免許の手続きを代行してくれていました。

アマチュア無線に復帰する機会は、子供が小学生ぐらいになり、車でオートキャンプを始めたころ位です。アイコムの「IC-2800D」VHF、UHF 144MHzと433MHzのデュアルバンド FMモードで、モニター(ディスプレー)にアナログビデオを入力して表示できるというものでした。(いまだ、現役です)。車に「IC-2800D」を車載し、ハンディー機としてヤエスの「VX-7」VHF、UHF 144MHzと433MHzのデュアルバンド FMモードを2台追加してキャンプ中の連絡手段としていました。

平成12年位から、アマチュア無線熱が再燃し、ヤエスのVertex Standard – MARK V Field FT-1000 50W機、主に7MHz~28MHzのSSB、CWモードで運用。、FT-817 移動先で5W出力で、主に7MHz~28MHzのSSB、CWモードで運用。

平成15年3月まで護衛艦隊司令部の通信主任幕僚として勤務していたのですが、そこで海曹の通信員が和文の電信で技能試験や術科競技があったので、無線談義となり、懐かしい思い出です。当時まではアマチュアの2級でほとんど困ることはなかったので上級試験は受けていませんでした。

平成15年3月に江田島にある海上自衛隊第1術科学校教育第2部の通信科長を拝命し、その受け持ち課程に「3総通特別講習」というのがあり、海曹教官に、現地の受験状況を実際に見たいので受験する。学生と同じ試験を受けて、みっともない結果にならないように、一つ上の2総通を受けるから資料とかあれば集めてもらえる?と依頼。

これがプロの無線通信士の免許取得への発端となったのでした。当然ながら一発合格はなく、学科は2回の受験でクリアーしたのですが、電気通信術が合格しない。電気通信術の難関はモールス実技です。

勉強ついでにと思い、アマチュア無線の1級を受験しまし、合格しました。

なんか悔しくて、通信科長離任後、関東に戻ってから電気通信術を受け続けました。総合無線通信士の電気通信術を受けるに当たり、1総通と2総通の両方を受験、なぜか1総通の電気通信術に合格したので、2総通はこれで総合合格。周りの人から1総通の電気通信術に合格したなら、もう8割合格したようなものだから、学科も受けるべきだと叱咤激励され、1年休んで、再度受験準備。平成19年に1総通を取得しました。

幹部自衛官において免許を必要とする配置はなく、自己満足のタンスの肥やしでした。

無線にほとんど関係のない配置で定年退職まで勤務しましたが、定年退職の1年ほど前から再就職先を探していたら、当時航海訓練所の通信長が同時に3名ほど定年退職を迎える時期とタイミングが合い、練習船の通信士の公募がありました。筆記試験と面接が行われ、内定の通知が平成26年5月と記憶しています。それから練習船の通信士として乗組むためには海技免状が必要で、「船舶局無線従事者証明」の新規訓練を受け、1級海技士(通信又は電子通信)を取得するよう求められ、取得しました。

平成27年3月に、定年退職翌日から航海訓練所の練習船通信士に採用され、2等通信士として銀河丸、大成丸、日本丸に乗船。平成29年に所用の研究論文を提出し、通信長、准教授に昇任し、銀河丸、青雲丸、海王丸の通信長として令和元年9月24日まで勤務しました。

練習船の通信士は昔は1総通持ちが当然で、電気通信大学出身者で占められていましたが、電気通信大学が通信士の養成課程を廃止(モールスの実技を止めること)で、後任者が育っておらず、通信士の採用不足が課題となっているようです。

電話級アマチュア無線技士から始まり、通信士としては、一応最高峰と言われる1総通を取得し、職務としても最後に1級海技士(通信)を取得して外航船の通信長と成れたので、無線、通信屋としては本懐を遂げたように思います。