本格的な江戸和竿は、1997年国際釣り博で初めて見ました。
そこで、パンフレットと小冊子「江戸和竿」を手に入れたのがきっかけです。
この「江戸和竿」に魅せられて、見よう見まねで1本作ってみたくなり、カワハギ竿を作ってみました。以後、「粋」な世界に魅了され、資料収集から始め、今日に至っています。
和竿作りは、本来伝統工芸であり、師弟関係に基づく技の伝承、素人が色々いえるものでないことは承知して、このページを作成しています。
江戸和竿師「四代目 竿治」 糸賀親方の知遇を得て「参乃治會」に参加させていただき、先輩の方々にも御指導を頂きました。
文中誤りも多々あるかと思いますが、私の勉強の備忘録・・・メモ書程度に書き留めるものです。
和竿作成の主な工程は、「原(料)竹、晒し」「切り組み」「矯め下」「矯め」
「巻き下」「糸巻き」「継ぎ下」(「込み削り」)「継ぎ」「塗り下」(「塗り」)
(「仕上げ下」)、「仕上げ」と言われます。
技量的には「切り組み」、「矯め」、「継ぎ」、「塗り」の順で高度な職人技が必要と言われます。
江戸和竿には、元々1本の延べ竿を切り離し、元のとおりに接ぐものと、一節ずつ異なる竹を組み合わせて1本の竿に継ぐ作り方があります。後者が上物であることは言うまでもありません。
一節ごとに異なる竹を組み合わせ、理想の調子に切り組み、かつ、それぞれの節を揃えるという美学があり、糸巻きに象牙、鼈甲を凝らしたり、刀の鞘から応用される「すげ口とすげ込み」を塗る「口塗り、込み塗り」及び「胴部分」の「胴塗り」に変わり塗りを凝らしたものがあります。子供のころ何気なく使っていた竹竿ですが、なんとも奥が深い・・・・。まだまだ知らない事ばかり。
18世紀末に蕨屋利右衛門(竿利)が継ぎ竿の技術を発展させ、1788年(天明8年)に上野広徳寺前の東作(泰地屋東作)がその竿を真似た竿を作り評判になり、その後、東作の弟子であった釣音が独立し、その釣音から竿忠、竿冶、竿辰など、今日も残る江戸和竿師の系譜が生まれ発展しました。



産みの親の顔も知らない豊二少年は、竿師に弟子入りする。激動の大正、昭和を時代背景に、震災、恐慌、空襲、愛妻の死、実子との別れなど人生の荒波にもまれながらも、懸命に釣り竿作りに励む。江戸和竿作りの名人と呼ばれ、釣り人に愛された竿師“三代目竿治”の波瀾万丈の生涯を描く。






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